はじめに
本記事の目的
本記事は、就業規則における賃金規定の基本と実務上のポイントを分かりやすくまとめた入門書です。法的義務や必須記載事項、賃金支払いの原則、具体的な賃金項目、作成・変更時の注意、公開と周知、運用上の留意点、そして実例までを順に扱います。
誰に向けているか
人事・総務担当者、経営者、管理職、これから就業規則を整備する中小企業の方に役立ちます。専門用語は最小限にし、具体例で理解を助けます。
なぜ重要か
賃金規定は労働条件の根幹です。明確に定めることで、従業員との誤解やトラブルを減らし、法令遵守を確実にします。例えば、残業代や手当の算定方法が曖昧だと支払トラブルに発展します。
本シリーズの構成
第2章以降で、法的な位置づけや必須記載項目、支払い原則、具体例、作成・変更の実務、周知方法、運用とトラブル防止、最後にサンプルを順に解説します。各章を読み進めながら実務にすぐ活かせる知識を得てください。
賃金規定とは何か ― 就業規則との関係
賃金規定の定義
賃金規定(給与規定)は、従業員に支払う賃金のルールを明確にする文書です。基本給、手当、賞与、締め日・支払日、控除などの取り決めを具体的に示します。具体例として「通勤手当は実費支給、上限3万円」「残業手当は基本給の時給換算で25%増」などが挙げられます。
就業規則との関係
賃金規定は就業規則の一部として扱います。企業は賃金に関するルールを就業規則に盛り込むか、就業規則に添付する別規程として作るか選べます。どちらの場合も、内容が矛盾しないよう統一する必要があります。
作成・届出の要否
常時10人以上の事業場では、就業規則(賃金規定を含む)の作成・労働基準監督署への届出が義務です。人数が少なくても、トラブル防止のため明文化をおすすめします。
実務上のポイント
- 曖昧な文言を避け、算定方法や支給条件を具体化します。
- 変更時は事前周知と同意の検討を行います。
- 賃金規定は運用実態と一致させておきます。
賃金規定に必ず記載すべき事項(絶対的記載事項)
賃金規定には労働基準法で定められた下記の項目を必ず明記する必要があります。具体例を交えて分かりやすく説明します。
賃金の決定方法(賃金形態・評価基準)
月給・日給・時給などの形態を明確にします。基本給と手当(役職手当・通勤手当など)の区別や、昇給・人事評価の基準・期間も記載します。例:基本給+役割手当+通勤手当。
賃金の計算方法
算定期間(例:毎月1日〜末日)や、時間外・深夜・休日の割増率(時間外25%、深夜25%、休日35%など)を記載します。計算式や端数処理(切捨て・四捨五入)も書きます。
支払い方法
賃金は原則通貨で支払いますが、銀行振込を行う場合はその扱い(振込日・従業員の同意・振込口座)を明記します。
締め切り日と支払い時期
締め日(例:毎月末日)と支払日(例:翌月25日)を明確にします。支払日が休日の場合の取り扱いも書いてください。
昇給に関する事項
昇給の有無、基準、実施時期や試用期間中の取り扱いを記載します。
記載漏れは労働基準法違反となり、30万円以下の罰金の対象になる可能性があります。実務では具体的な数値と計算例を必ず入れ、従業員に分かるよう周知してください。
賃金支払いの5原則と労働基準法の要件
労働基準法第24条の5原則
労働基準法は賃金支払いについて5つの原則を定めています。要点をわかりやすく説明します。
- 通貨払いの原則:原則として日本の通貨(現金)で支払います。例外として銀行振込を行う場合は労働者の同意が必要です。
- 直接払いの原則:賃金は労働者本人に直接渡します。他人に渡すことは原則禁止です。
- 全額払いの原則:賃金は原則として全額支払います。控除は税金や社会保険料、法令や労使協定で認められたものに限ります。
- 毎月1回以上の支払い:賃金は少なくとも月1回以上支払わなければなりません。
- 一定期日払いの原則:支払日を明確に定めます(例:毎月25日)。
控除や振込の実務
控除は法的根拠が必要です。よくある控除例は所得税、社会保険料、労働組合費(労働者の同意がある場合)などです。給与振込を導入する際は、事前に書面で同意を得て、振込日や手数料負担について規定してください。
賃金規定に書くべき項目(実務ポイント)
- 支払方法(現金/振込)と振込は同意が必要であること
- 支払の頻度(毎月1回以上)と支払日
- 支払場所(事業所または振込先)
- 控除の種類と根拠
違反時のリスク
原則違反は労働者から未払賃金の請求を受ける原因になります。行政指導や罰則の対象となることもあります。規定と運用を合わせて整備してください。
(記載例は第9章で示します)
賃金の構成要素と具体的記載事項
基本給
基本給は賃金の基礎です。月給・日給・時給・年俸制それぞれで計算方法を明確にします。例:「月給30万円」「時給1,200円(1時間あたり)」のように表示し、支給日や締め日も併せて記載します。
諸手当
手当の名称・支給条件・金額または計算方法を一つずつ書きます。例:
– 通勤手当:実費支給(上限5万円/月)または定額支給
– 役職手当:管理職に月額○○円
– 家族手当:扶養人数に応じて○○円/人
– 資格手当:該当資格に対して○○%または金額
支給要件(出勤日数や在籍期間など)も明示してください。
賞与
賞与の有無・支給時期・算定基準を示します。例:「年2回(6月・12月)、基本給の○ヶ月分を基準に算出」や「業績連動で支給」など、算定方法を具体化します。
退職金
退職金制度の有無、支給条件(勤続年数要件など)、算定方法(在職期間×基準額や退職金規程の計算式)を記載します。制度が確定給付か確定拠出かも明記してください。
割増賃金
時間外・深夜・休日労働の割増率と計算方法を明確にします。例:「時間外労働は基本給の25%増しで算出。深夜(22時〜5時)は深夜割増を加算」など、具体的な計算式を載せると誤解が減ります。
控除項目
法定控除(所得税、住民税、社会保険料)と任意控除(社内預金、組合費など)を分けて記載します。控除の計算方法や手続き(任意控除は同意書が必要)も書いてください。
記載の実務ポイント
金額を固定せず計算式で示すと変更時に対応しやすくなります。例として、賞与の算定式や通勤手当の計算ルールを具体例とともに挙げると、従業員の理解が深まります。
作成・変更時の注意点と実務ポイント
法令遵守を最優先に
賃金規定は最低賃金、均等待遇(性別や国籍による不合理な差別の禁止)などの法令に合致させてください。たとえば地域別の最低賃金額より低い基本給を定めることはできません。違反があると労使トラブルや行政指導の原因になります。
意見聴取と合意形成の手順
就業規則の作成・変更時は、労働組合または労働者代表に意見を聴取します。実務では文書で意見を求め、回答を保存すると証拠になります。重要な変更は事前に説明会を開き、質問に答える場を設けると誤解が減ります。
届出と保管
作成・変更後は所轄の労働基準監督署へ届出します。届出書類と最新版の規定は社内で確実に保管し、変更履歴を残してください。
書き方の実務ポイント
曖昧な表現は避け、具体的に金額・計算方法・支払日を記載します。例:『通勤手当は実費支給』だけでなく、『月額上限3万円、合理的な経路で算出』と明記すると良いです。
運用でよくあるトラブルと対策
・規定にない慣行的支給は後で争いになります。必ず規定に反映してください。
・変更の遡及適用は慎重に。事前合意がないと無効になることがあります。
実務チェックリスト(簡易)
- 最低賃金対応の確認
- 労働者代表への意見聴取記録
- 労働基準監督署への届出
- 規定文言の具体化(金額・方法・日付)
- 社内周知と説明記録
上記を順に行うことで、法的リスクを減らし従業員との信頼を保てます。
賃金規定の公開義務と従業員への周知
公開義務の基本
賃金規定は、従業員がいつでも確認できる状態で備え付ける義務があります。事業所ごとに異なる規定がある場合は、その事業所で働く全員に対して必ず公開してください。誰がどの規定に該当するか分かるようにしておくことが大切です。
公開方法の具体例
- 職場内の閲覧場所に紙で掲示する(見やすい場所、常時開示)。
- 社内イントラやクラウドにPDFを置き、閲覧手順を明示する。
- 新入社員用のハンドブックに同封する。
どの方法でも、閲覧のしやすさを優先してください。例えば夜勤や在宅勤務の社員には電子化が有効です。
作成・変更時の周知手順
- 変更内容を平易にまとめた説明文を作成する。
- 全社員宛てに告知(掲示・メール・イントラ)を行う。
- 説明会や部署単位の説明を実施し、理解を促す。
- 周知した日時と対象者を記録する(署名やデジタルログ)。
注意点と実務上の留意点
- 公開しているだけでは不十分です。閲覧しやすい形式に整え、質問窓口を明確にしてください。
- 言語の異なる従業員がいる場合は翻訳を用意すると誤解が減ります。
- 事業所ごとの違いは明示し、配属変更時にはふたたび周知してください。
以上を実行すると、従業員の理解が深まりトラブルを未然に防げます。
賃金規定作成後の運用とトラブル防止
運用の基本
賃金規定は作って終わりではありません。日々の給与計算や人事評価と整合させ、実務と規定を一致させて運用してください。具体例:残業代の計算方法や昇給条件を実際の勤怠データで再現し、ずれがないか確認します。
周知と教育
従業員向けの説明会を開き、書面と社内システムで規定を提示します。管理職には計算方法や例外対応の研修を行い、従業員からの質問には誠実に答える体制を作ります。よくある質問例をFAQに残すと便利です。
定期的な見直し
事情や制度が変われば規定も修正が必要です。年1回以上の点検を目安に、運用上の課題や法改正を踏まえて見直してください。見直しの結果は記録し、変更点を明確に示します。
変更時の手順
変更案を作成→労使説明(または従業員説明)→承認→施行の順に進めます。変更日は給与計算や就業規則との整合を考慮して設定してください。
トラブル例と対処
例:計算ミス、支給漏れ、規定解釈の違い。対処は速やかな事実確認と誤りの是正、再発防止策の実施です。経緯と対応は文書で残します。
予防の実務チェックリスト
- 給与計算ルールの書面化
- 管理者の研修記録
- 勤怠データと規定の定期照合
- 従業員への周知履歴
- 変更記録と説明資料
こうした運用を続ければ、誤解や紛争を未然に防ぎやすくなります。
賃金規定サンプル・記載例
以下は実務で使いやすい賃金規定のサンプル例です。会社の実情に合わせて調整してください。
● 賃金計算期間
例:賃金の計算期間は毎月1日から同月末日までとする。
● 賃金支払日
例:賃金支払日は翌月25日とする。休日に当たるときは前営業日に支払う。
● 賃金の構成
例:賃金は基本給及び各種手当で構成する。基本給、役職手当、住宅手当、通勤手当等を明記する。
● 手当の支給条件
例:時間外手当は法定割増率により支給する。深夜勤務、休日出勤の手当も別途定める。
● 控除項目
例:所得税、社会保険料、会社が定めるその他の控除を差し引く。
● 計算方法・端数処理
例:日割り計算は1日を30日として算出し、端数は1円未満を切捨てる。
● 支払方法
例:給与は従業員が指定する金融機関口座へ振込む。現金支給は原則行わない。
● 欠勤・減給・改定
例:無断欠勤については給与を日割りで控除する。賃金規定の変更は労使で協議の上、書面で通知する。
上記は一例です。就業規則全体との整合性と法令遵守を必ず確認してください。必要なら社労士に相談すると安心です。


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