会社から社員への損害賠償請求の法的制限と裁判例詳解ガイド

目次

はじめに

本資料の目的

本資料は、会社が従業員に対して損害賠償を求める場合の考え方をわかりやすく整理することを目的とします。法律の基本や制限、実際の裁判例を通じて、どのような場面で請求が可能か、またどのような点に注意すべきかを示します。

対象読者

経営者、人事労務担当者、労働者、法律に詳しくない方でも実務で役立つようにまとめています。弁護士向けの高度な理論説明は抑え、具体例で補います。

本書の構成と読み方

全9章で構成します。まず法的な根拠と労働基準法による制限を確認し、裁判例を通じて実務での判断基準を学びます。各章は単独で読めるように作成しました。例えば、機械を壊した、遅刻や無断欠勤で損害が出た、といった場面を想定して読み進めてください。

注意事項

ここで示すのは一般的な考え方です。具体的な事案では個別の事情が結果を左右しますので、必要な場合は専門家に相談してください。

損害賠償請求の法的根拠

概要

従業員は労働契約に基づき会社に労務を提供する義務があります。これを怠り会社や第三者に損害を与えた場合、従業員は民法に基づき損害賠償の責任を負います。ここでは主要な法的根拠を分かりやすく説明します。

債務不履行責任(民法415条・416条)

労働契約で約束した仕事をしなかったり、著しく不注意で義務を果たさなかった場合、契約違反として賠償責任を負います。たとえば、納期に間に合わせる義務を怠り会社が取引先に支払った損害は債務不履行が問題になります。

不法行為責任(民法709条)

故意や過失によって第三者の身体や財産を損なった場合は不法行為として損害賠償を請求されます。機械の操作ミスで他人をけがさせた場合などが該当します。

使用者の求償権(民法715条第3項)

会社が従業員の行為で第三者に賠償金を支払ったとき、会社は従業員に対して支払った分の求償(償いを求める)権を持ちます。たとえば、営業員の過失で会社が損害を賠償した場合、会社はその損害分を社員に求めることができます。

実務上の注意点

どの責任に当たるかで証拠や立証の方法が変わります。会社は被った損害の内容と従業員の過失の有無を明確にする必要がありますし、従業員側も事情説明や過失が小さいことを主張できます。

労働基準法による制限

趣旨

労働基準法は労働者の生活安定を重視します。採用時にあらかじめ「損害賠償の額」を定める条項を置くことは、生活を脅かす恐れがあるため禁止されています。これにより、会社が自由に高額なペナルティを課すことを防ぎます。

第16条のポイント(簡潔に)

  • 採用時や雇用契約書に「予定損害賠償」を定めることは認められません。
  • 無効となった条項に基づく請求は原則として認められにくいです。

実務上の意味と具体例

具体例:従業員が誤って設備を壊した場合、雇用契約に「○○万円を罰金として支払う」と書いてあれば、その部分は無効です。ただし、会社は実際に発生した損害について別途請求できます(実損賠償)。ここで重要なのは、請求額を実際の損害に基づいて示すことです。

損害賠償が認められる場合の要素

  • 因果関係:行為と損害が直接結びついていること。
  • 故意・過失の程度:重大な過失や故意があると認められやすいです。
  • 損害の立証:修理費、営業損失など具体的な資料で示すこと。
  • 使用者側の過失:安全配慮義務違反などがあると賠償が減ることがあります。

判断上の注意点(実務的アドバイス)

  • 採用段階での予定賠償条項は入れないでください。無効になるだけでなく、信頼関係を損ないます。
  • 会社は損害が生じた場合、実損を詳細に記録・提示してください。見積書や領収書、故障前後の状況説明が有効です。
  • 従業員は請求内容の根拠を求め、金額に疑いがあれば話し合いや専門家相談を検討してください。

最後に(留意点)

労働基準法による制限は、従業員の生活保護を目的とします。企業は罰則的な定額条項に頼らず、事実に基づく対応と適切な社内規律の運用を心がけてください。

損害賠償請求が認められない原則

前提

従業員が業務上のミスで会社に損害を与えた場合でも、会社が直ちに損害賠償を請求できるわけではありません。一般に、従業員に故意や重大な過失がない限り、請求は認められないとする原則が続いています。

通常のミスと重大な過失の違い

通常の注意義務違反は、誰にでも起こり得る軽微なミスを指します。例えば伝票の記入漏れや一回の誤配達などです。一方で重大な過失は、通常期待される注意を著しく欠く行為や、反復的な無謀な行為を指します。たとえば、酒気帯びでの運転や明らかに危険な操作を繰り返す場合です。

具体例でわかる線引き

  • 単純な入力ミス→原則として会社の負担
  • 故意にミスを隠した場合→賠償請求の対象
  • 業務指示に反して重大な無視をした場合→賠償を検討可能

理由と実務上の扱い

裁判所は従業員の生活保障や企業の負担の公平性を重視します。会社はまず内部処分や保険で対応し、賠償は例外的に認めます。証拠に基づく故意・重大過失の立証が不可欠です。

注意点

会社が一方的に請求すると信義則に反する場合があります。損害回復の前に事情調査と適正な手続きを踏むことが重要です。

危険責任の法理と報償責任の法理

危険責任の法理

従業員が会社の指揮命令のもとで働くと、業務に伴う危険も会社が負うべきだとする考え方です。例えば、配送中のドライバーが事故を起こした場合、会社が業務を指示し利益を得ているため、会社にも一定の責任が及ぶと裁判所は考えます。これにより、業務遂行中の軽微な過失まで従業員に全額負担させることを避けます。

報償責任の法理

会社は従業員の労働力から利益を得ています。報償責任はその利益関係に基づき、損失を会社も分担すべきだとする考え方です。具体例として、工場での機械トラブルが従業員の通常業務中に発生した場合、会社が被るべき負担の一部はやはり会社に残ると判断されます。

裁判所が重視する点

裁判所は次の点を見て判断します。業務の性質、指示の有無、危険の予見可能性、従業員の過失の程度(軽微か重大か)などです。故意や重大な過失があれば従業員の責任が重くなることがありますが、通常の業務中のミスを全部従業員に押しつけるのは公平でないと扱います。

信義則に基づく損害賠償請求の制限

概要

裁判例は、使用者が労働者に対して損害賠償を求めることを否定しない一方で、信義則(信頼関係に基づく公平性)を理由に請求範囲を狭めることがあります。最高裁(茨石事件)は、単純な過失と賠償の重さの不均衡を放置しない姿勢を示しています。

最高裁の考慮要素(茨石事件を踏まえて)

  • 給与と賠償額の格差:賠償が労働者の賃金を大きく上回る場合、過度な負担と判断されやすいです。
  • 損害軽減措置の有無:使用者が安全対策や教育を尽くしたかを重視します。
  • 事故発生状況と過失の程度:故意や重大な過失と通常の過失は区別されます。
  • その他事情:家計事情、労働者の勤続年数や地位なども考慮されます。

適用のイメージ

例えば、単純な注意不足で起きた業務上の事故で、賠償が数年分の給料に相当するような場合、裁判所は賠償額を減額し公平な負担を図ります。逆に、重大な故意や著しい不注意があれば、制限は緩やかになります。

実務上の注意点

使用者は事前に安全管理や指導を記録し、損害発生後は被害回復の努力を示すと有利です。労働者は過失の有無や程度、生活状況を示して責任の相当性を主張できます。裁判では事情の総合衡量が鍵になります。

実際の裁判例1 – 大隈鉄工所事件

事案の概要

名古屋地裁(昭和62年)は、従業員が勤務中に起こした事故について使用者が求めた損害賠償請求を一部認め、賠償額を従業員の責任範囲の4分の1(約83万円)に減額しました。事故は深夜の勤務中に発生し、使用者は被った損害の全額を従業員に求めました。

裁判所の判断理由

裁判所は次の点を重視しました。
– 給与と賠償額の差が大きく、全額を負わせるのは過酷であること。具体的には従業員の収入と比較して賠償額が著しく高かったこと。
– 損害を軽減するための措置が取られていなかった点。企業側にも安全対策や監督の改善余地があると認められました。
– 深夜勤務中であることなど、従業員に同情すべき事情があったこと。疲労や作業環境が影響した可能性が考慮されました。

ポイント解説

この判例は、使用者が無条件に全額を従業員に負わせられないことを示します。裁判所は被害者(ここでは従業員)の生活や具体的事情、使用者の安全管理の状況を総合して公平に判断します。実務上は、使用者は損害発生の防止策を整え、請求の根拠と算定を丁寧に示すことが重要です。一方で従業員側は事情を説明し、過失の程度や環境を主張することが有効です。

実際の裁判例2 – 株式会社G事件

事案の概要

株式会社G事件は、従業員が業務上のミスで会社に多額の損害を与えた事案です。東京地裁は平成15年に判断を示し、従業員の負担を損害額全額にはしませんでした。

判決の要旨

裁判所は従業員の責任を損害額の2分の1に限定し、約2,578万円の負担としました。過失の程度や会社側の管理状況、被害の回避可能性を総合して判断しています。

判断のポイント

  • 従業員の過失は認められるが、重大な背信や故意ではない点を重視しました。
  • 会社側の監督や業務分担に不備があれば、従業員の負担は軽くなります。
  • 会社が損害軽減のために取った措置の有無も考慮しました。

解説と実務上の教訓

この判例は、従業員に対する損害賠償請求が必ずしも全額認められないことを示します。企業は監督体制や教育を強化し、従業員は注意義務を果たすことが重要です。具体例として、業務フローの二重チェックや記録保存が有効です。

実際の裁判例3 – 大阪地方裁判所判決

事案の概要

従業員が業務中にたびたび交通事故を起こし、会社に修理費や休業損害などの損害が生じました。被告は当該従業員の運転に関する問題が繰り返されたことから、会社が従業員に全額賠償を求めました。

裁判所の判断

大阪地裁は、従業員に全額賠償責任を認めました。裁判所は単発の過失ではなく反復的な注意義務違反があり、会社に重大な損害を与えたと認定しました。

理由のポイント

  • 従業員の過失が頻繁である点を重視しました。具体的には事故の回数・態様・改善措置の有無を総合して判断しています。
  • 会社側が適切な注意喚起や指導を行っていたかも検討しましたが、それでも事故が続いたことから従業員の責任を厳しく評価しました。

企業と従業員への示唆

企業は問題のある運転者に対し記録を残し、指導や配置転換などの対応を早めに取るべきです。従業員は業務での運転について安全管理を徹底する必要があります。したがって、双方が予防と記録を重視すると紛争を避けやすくなります。

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